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2022年3月大阪方面の旅 3日目 [旅]

2022年3月大阪方面の旅3日目。
前日は大阪の「スーパーホテル 地下鉄谷町四丁目6号口」に宿泊する。
この日は8:30頃、起床する。
いつもは5:00頃に目が覚めてしまうのだが、昨晩の黒霧島が結構残っている。
それほど量は飲んでいないのだが、料理をほとんど食べられなかったからだと思う。

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8:48頃、ホテルの朝食会場に向かう。
まだ酔っぱらっているし、全然お腹は空いていないのだが、朝食時間が9:00までなので軽くいただくことにした。

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この日のメニューは鶏のから揚げ照焼きソース、サバの塩焼き、ミックスベジタブルスクランブルエッグ、小松菜の煮浸し、和風スパゲッティ、コーンポテトサラダ、ソーセージポテトフライ、ビーフカレーなど。
ただし終了間近のせいか、軽くいただける和食系はほとんどなくなっていて、こってり系の洋食メニューしか残っていなかった。
胃の調子が今イチなのでちょっと辛かった。

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サラダにはオリジナルドレッシングをかけていただく。
このドレッシングはなかなかよかった。

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サラダ中心にいただく。
この後ビーフカレーも少し追加した。
さて朝食後は部屋に戻り酔いをさます。
ただしなかなか動くことができず、午後から動くことにした。

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13:20頃、やっと動き出し外に出る。
うれしいことに天気予報は外れ、快晴が広がっている。

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13:30頃、大阪城公園に到着する。
この日は大阪城を見学することにした。

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大手前の馬場
大阪城の正面を大手口といい、大手前と呼ばれる手前一帯は江戸時代に馬場と呼ばれていた。
範囲は上町筋の西、今の大阪府警察本部や大阪府庁の敷地付近にも及ぶ。
馬場は小高い丘のある芝生の広場で、大坂城在番の部隊が交代する際の駐留場所として使われたほか、市民に開放され憩いの場所となっていた。
幕末には軍事的緊張が高まり、同地に土塁が築かれたり兵舎が建てられたりしている。
明治維新を経て1924年、大阪市は陸軍からこの付近一帯を借り受けて大手前公園を開設した。
これが現在の大阪城公園の出発点である。

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南外堀
大阪城二の丸の南に位置する堀で、西が大手口、東が玉造口である。
石垣の総延長は約2km、堀の最大幅は約75mあり、1628年、徳川幕府による大坂城再築第3期工事により、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造された。幕府の命令によって動員された大名は肥前佐賀藩鍋島家・加賀金沢藩前田家・因幡鳥取藩池田家・筑前福岡藩黒田家など57家。
内側の石垣上には東から一番櫓から七番櫓まで七棟の隅櫓が建造された。
櫓は明治維新の大火により四番・五番・七番を失い、さらに第二次大戦の空襲により二番・三番を失って、現在は一番櫓と六番櫓だけが残る。

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大手門に向かう。

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重要文化財 多聞櫓
手口枡形の石垣の上に建つ櫓で、大門の上をまたぐ渡櫓と、その右側に直角に折れて接続する続櫓によって構成される。
徳川幕府による大坂城再築工事により1628年に創建されたが、1783年の落雷によって全焼し、1848年に再建された。
土塁や石垣上に築かれた長屋状の建物を一般に多聞(多門)と呼ぶが、その名称は戦国時代の武将松永久秀が大和国(今の奈良県)の多聞城でこうした形式の櫓を初めて築いたことに由来するといわれる。
現存する多聞櫓の中でもこの多聞櫓は最大規模で、高さは約14.7m、建築総面積は約710.25㎡ある。
渡櫓内部には70畳敷を最大とする部屋が4室、続櫓内部には廊下のほか9畳・12畳・15畳の部屋が計6室あって多数の兵や武器をたくわえることができ、枡形の内側に多くの窓があり、また大門をくぐる敵を真上から攻撃する槍落しの装置が設けられるなど、高い防御能力を備えている。
大阪城の二の丸には京橋口・玉造口にも多聞櫓があったが、現存するのはここだけである。

大手口桝形の巨石
桝形とは城の主要な出入口に設けられた四角い区画のことで、敵の侵入を食い止める役割を果たした。
築城技術の進歩にともなって強固な石垣造りのものがあらわれ、大阪城の大手口桝形では城の威容を固辞する巨石が数多く使用されている。
大手門をくぐって正面に位置する大手見付石は、表面積が約29畳敷(47.98㎡)で城内第4位、左の大手二番石は約23畳敷(37.90㎡)で第5位、右の大手三番石は約22畳敷(35.82㎡)で第8位、いずれも採石地は瀬戸内海の小豆島と推定されている。
現存する大阪城の遺構は豊臣時代のものではなく、1620年から約10年にわたった徳川幕府再築工事によるもので、石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いた。
この箇所は当初肥後熊本藩主加藤忠広が築き、のちに筑後久留米藩主有馬豊氏が改築した。

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重要文化財 千貫櫓
大阪城の大手口を守る重要な隅櫓である。
西側と南側は堀に面し、大手門に向かう敵を側面から攻撃することができた。
創建は徳川幕府による大坂城再築工事が開始された1620年で、戦後の解体修理工事の際、墨書で「元和六年九月十三日御柱立つ」と上棟式の日を記した部材が見つかった。
二の丸北西に現存する乾櫓と同様に大阪城最古の建造物で、いずれも工事責任者は、茶人としても有名な小堀遠州である。
具体的な場所や規模は不明ながら、前身となる豊臣秀吉築造の大坂城にも千貫櫓はあり、さらにそれよりも前、織田信長が大坂を領していたころにも千貫櫓はあった。
名称の由来に関しては、織田信長がこの地にあった大坂(石山)本願寺を攻めた際、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ、「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」と兵士たちの間で噂されたという逸話が残っている。
面積は1階が約217.26㎡、2階が約162.95㎡、高さは約13.5mである。

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桜が満開。
天気はいいし一番いい時期に来た。

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重要文化財 桜門
本丸の正面にあたる。
徳川幕府による大坂城再築工事が行われていた1626年に創建されたが、1868年に起きた明治維新の大火によって焼失し、1887年に陸軍が再建し現在に至る。
左右の塀も桜門再建にあわせて新築されたが、戦後に台風の被害を受けて倒壊し、1969年に復元されている。
桜門の名所は豊臣秀吉が築いた大坂城以来のもので、当時二の丸に桜の馬場とよばれる場所があったことから、門付近に植えられた桜並木にちなんで命名されたと考えられている。
ただし豊臣時代の大坂城は、徳川幕府再築の今の大坂城とは地形や構造が大きく異なり、桜門を含む本丸への入口は現在よりも西にあり、入る方向も違っていた。
なお門の両脇に見える巨石は龍虎石と呼ばれ、江戸時代には、雨が降ると右に龍の姿が、左に虎の姿がそれぞれ現れるといわれた。

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銀名水井戸の井筒
この井筒は元来、本丸に建つ旧陸軍第四師団司令部庁舎 (旧大阪市立博物館) の裏手にある銀明水(銀水)井戸のものである。
銀明水井戸は徳川幕府再築の大坂城本丸に設けられた5つの井戸のうちの一つで、本丸御殿台所の裏に位置し、本丸を警備する役人たちの飲料水として用いられた。
大坂城内で最も格式の高い井戸の一つで、「金」「銀」 などの井戸の名称に冠して重要性を表現した例は各地に見られる。
1931年、大阪城天守閣の復興と同時に行われた第四師団司令部庁舎の新築にあたり、井筒と周囲の敷石が現在地に移され、飲料用の水道水が引かれた。
なお現在の金明水は小天守台上にあるが、これは元来「黄金水」と呼ばれたもので、金明水井戸はこれとは別に本丸内にあった。
今の配水池に埋もれていて目にすることができない。

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天守下仕切門跡
天守台の西側は石組によって南北が隔てられており、通路となった箇所の門を仕切門と呼んだ。
北から本丸中心部へ侵入しようとする敵の直進を妨げるため両脇の石垣を行き違いとし、そのため門は東を向いていた。
徳川幕府による大坂城再築時に築かれ、明治維新の大火により石垣上にあった塀ともども焼失したと考えられる。

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天守台石垣の爆弾被害跡
1945年、陸軍の関連施設が集中していた大阪城は、終戦前日の8月14日を最大とする爆撃を数次にわたって受けた。
これにより大阪城天守閣付近の石垣も大きな被害をこうむっている。
天守台北壁から東壁にかけてみられる石垣のずれはこの時のもので、天守閣の北数メートルの地点に落ちた爆弾によるものである。
1931年復興の天守閣は天守台に荷重をかけない構造だったため影響はなかったが、昭和39年にはひずみの進行を止めるための工事が行われた。

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本丸御殿跡
城の中心部を本丸といい、大阪城の本丸には天守のほか政治を行うための御殿があった。
豊臣時代の本丸御殿は大坂の陣で焼失し、その後、徳川幕府によって本丸に盛土をほどこし再び築かれた。
幕末には十四代将軍徳川家茂が長州戦争の指揮をとるなど、重要な歴史の舞台にもなっている。
1868年、明治維新の動乱の中で全焼し、1885年、跡地に和歌山城二の丸御殿の一部が移されたが(紀州御殿)、これも1947年に焼失した。
ここは江戸時代の本丸御殿の玄関付近にあたる。

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登録有形文化財 大阪城天守閣
現在の天守閣は1931年、大阪市民多数の寄付金を元手とし、大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣時代の天守を参考に建設された。
鉄骨鉄筋コンクリート造りで、本丸から最上階の鯱までの高さは約54.8m。
古典建築を近代的な技術によって再現した、わが国の復興天守第1号である。
初代の天守は、豊臣秀吉が大坂築城を開始して3年目となる1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で城もろとも焼失。
二代目の天守は徳川幕府による再築工事の最中、1626年に現在の場所に築かれたが、1665年に落雷で焼失した。
以来大坂城は天守のない城郭として幕末に至る。
三代目となる現在の天守は、復興時から博物館施設として利用され、第2次世界大戦の空襲でも焼失をまぬがれた。
1997年には復興以降初めての改修工事が完了し、同年、歴史的景観に寄与する近代建築物として国の登録有形文化財となった。
なお戦後の学術調査によって、豊臣時代の天守は現在地よりも東にあったことが判明しており、高さは約40m。
配水池の地下付近から天守台石垣の一部が発見されている。

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さて天守閣内に入るための入場券を購入するために並ぶ。

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20分ほど並び検温や住所記入などして、入場券を購入する。
入館料は大人600円、中学生以下無料。

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天守閣内に向かう。
なお天守閣内の各階は下記の通り。
1F:天守閣の入口
インフォメーションカウンター、ミュージアムショップ、シアタールーム
2F:お城の情報コーナー
パネル展示、早わかり大阪城史「幕末・明治以降の大阪城」
3F:豊臣秀吉とその時代 ※撮影禁止
歴史資料展示、黄金の茶屋原寸大模型、早わかり大阪城史「江戸時代の大阪城」、図録販売所
4F:豊臣秀吉とその時代 ※撮影禁止
歴史資料展示、早わかり大阪城史「徳川幕府再築の大阪城」
5F:大坂夏の陣図屏風の世界
早わかり大阪城史「豊臣秀吉の大阪城」、夏の陣パノラマビジョン
6F:回廊 ※立ち入りできない
7F:豊臣秀吉の生涯
早わかり大阪城史「石山本願寺の時代」
8F:展望台

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重要文化財 金明水井戸屋形
大坂城の小天守台にある井戸を金明水といい、それを覆う面積11.55㎡、高さ5.2mの建物を金明水井戸屋形という。
井戸は水面まで33m、井筒は一個の石をくり抜いたもので、外部の水流しは4枚の大石を組み合わせて敷き詰めている。
伝説では豊臣秀吉が水の毒気を抜くために黄金を沈めたと言われているが、戦後の学術調査により、徳川幕府による大坂城再築工事にともない新たに掘られたもので、井戸屋形は1624年に創建されたもので、同じ年に築かれた天守が1665年に焼失した際にも類焼をまぬがれたことが判明した。
なお江戸時代までこの井戸は黄金水と呼ばれ、本来の金明水は天守の東側、現在の排水池のあたりにあった。

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号砲
この大砲は、全長348cm、砲口の内径20cm、外径40cm 先込め式の旧式砲で、材質は青銅の一種とみられる。
1863年、幕府の命令により、美作津山藩(岡山県津山市)の鋳工・百済清次郎らが製造し、大坂天保山砲台の備砲として据え付けられ、明治維新後、大阪城内に移されたものと伝える。
1870年から時刻を知らせる号砲として用いられ、はじめは日に3度、1874年からは正午のみ空砲が大阪市内にとどろきわたり、「お城のドン」「お午のドン」の名で市民に親しまれた。
火薬節約その他の理由により1923年~1924年頃中止されたが、その時期と事情ははっきりしていない。

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大棟の鯱瓦 阿形(雄)
豊臣秀吉築造大阪城の大天守には金色に輝く1対の鯱瓦が最上部に飾ってあった。
1931年に推定復元され、1996年に修復された現在のものは、青銅製の鋳物に金箔を貼りつけたもので、これはその原寸大の複製(レプリカ)。
阿・吽(雄・雌)1対のうち、こちらは大棟南側の阿形(雄)。

伏虎
豊臣秀吉が作った大阪城の天守閣は、大変装飾性の高い建物で、最上階(第5層) の外縁腰板には伏虎(獲物を狙う姿勢の虎)の勇姿が描かれていた。
1931年の復興では、この天守閣がモデルとされたために虎も316年ぶりによみがえり、天守閣最上層の外縁四面に4種8頭がいて周囲に睨みを利かせている。
これはその東西面のうちの1頭。

第1層大破風の菊紋波風飾り
豊臣時代大阪城大天守には、大棟や大破風などに黄金色に輝く装飾品が多用されていた。
現在の復興天守閣の大棟や破風にも銅板打出し金箔二度押しの飾り金物が用いられている。
これもその一つで、破風飾りとしては最大のもの。

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4Fの展示

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8F展望台
北側は万博記念公園や京橋駅方面。

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西側は大阪府庁、ユニバーサルスタジオジャパン、六甲山方面。

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南側はあべのハルカス、通天閣、道頓堀方面。

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東側は奈良、生駒山方面。

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1時間ほどで天守閣内の見学が終了する。
天守閣自体は現代の鉄骨鉄筋コンクリート造りのものだったので、ちょっと期待していたのとは違うかなという気がした。
この後は大阪城公園内を散策しながらホテルに戻ることにする。

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旧第四師団司令部庁舎
現在の大阪城天守閣と同じ1931年、陸軍第四師団司令部の庁舎として建設された。
鉄筋コンクリート造で、ヨーロッパの城を参考とし、左右対称の重厚な外観をあらわす。
1945年の 第二次世界大戦終結時は中部軍司令部の庁舎だった。
連合国軍による接収のあと、1948年から警察(大阪市警察局、大阪市警視庁、大阪市警察、大阪府警察)の庁舎として、 1960年から2001年までは大阪市立博物館として使われた。
2017年に耐震補強ならびに外装・内装の修復や改装工事が完了し、現在は来訪者向けに土産物や飲食、 大阪城公園内の史跡に関する情報などを提供する 「ミライザ大阪城」として利用されている。

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旧第四師団司令部庁舎は現在「ミライザ大阪城」という商業施設になっていて、当時の雰囲気がよく残っている。

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さていったんホテルに戻る。
しばらく休憩していたら飲みに行けそうなくらいまで胃の調子は戻ったので、18:30頃、道頓堀に向け出発する。
最初は歩いていこうと思ったが、30分以上かかりそうなので地下鉄で向かうことにした。

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ホテルから5分ほど歩き、地下鉄堺筋の堺筋本町駅に到着する。

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天下茶屋行きに乗車する。

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3分ほどで日本橋駅に到着する。

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道頓堀に向かう。

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18:54頃、道頓堀に到着する。

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道頓堀は思ったより人が少ないかな。
息子が焼きそばを食べたいというので店を探しながら歩いていく。

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づぼらや
創業100年の老舗ふぐ料理店であったが、2020年6月に閉店した。
名物のふぐ提灯が取り外されたパイプが物悲しい。

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大阪名物くいだおれ
こちらも創業59年の老舗飲食店であったが、2008年7月に閉店した。
その後、土産物屋として営業している。

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かに道楽
こちらのかに看板は元気に動いていた。

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道頓堀グリコサイン
1935年に設置され現在のは6代目になるが、以前見た5代目の方が明るく光っていた気がする。
https://www.glico.com/jp/health/contents/tokubetsuten/

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続いて心斎橋筋商店街に向かうが、飲食店は少ないようなので、御堂筋に戻ることにした。

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先ほどより人通りが多くなっている。

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さて焼きそばやビールをいただける「たこ八 道頓堀総本店」という店があったので、入ってみることにした。

20220327 たこ八 02.jpg

まずは生ビールをいただく。

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ビールのつまみはたこ焼 5ヶ入。
ソース、マヨネーズ、青のり、七味唐辛子をかけていただく。
特別おいしいという感じはしない普通のたこ焼き。

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豚入焼きそばは大盛りにして、私も少しいただく。
具材は豚肉、キャベツ、もやし、玉ねぎで、紅しょうと青のりが添えられている。
いただきてみると低加水の麺に、やや控えめなソース味。
さて生ビールは3杯いただきお会計は3,080円。
特別おいしいとは感じなかったが、道頓堀で粉物がいただけて良かった。

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「たこ八 道頓堀総本店」で軽く飲んだ後は、近くにある「金龍ラーメン 道頓堀店」に向かった。
ここは以前より気になっていた店。

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メニューはラーメン(800円)とチャーシューメン(1,100円)の2種類のみ。
ラーメンをいただくが、豚骨ベースのスープは豚骨をあまり感じられない薄めのスープで、麺も私には合わない感じであった。

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さて日本橋駅に戻り高槻市行きに乗車する。

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3分ほどで堺筋本町駅に到着する。
行きと同じくここから歩いてホテルに戻ってもよかったのだが、ホテル最寄り駅の谷町四丁目駅まで行くことにした。

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続いて学研奈良登美ケ丘駅行きに乗車する。

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1分ほどで谷町四丁目駅に到着する。
この日はあまり動かなかったが、少し疲れていたのでホテルに戻り早めに就寝した。

【散策メモ】
2022年03月27日(日)
大阪城公園
歩数:15,194歩
歩行距離:9,876m
歩行時間:2時間19分
消費カロリー:415.0kcal


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