湯河原散策 [散策]
1年ぶりの湯河原散策。
湯河原散策マップを参照し南郷山、幕山、大石ヶ平、しとどの窟、城山、土肥城跡を巡る予定。
file:///C:/Users/jun19/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C7N6DAM1/1-20190927165001.pdf
湯河原駅を11:40頃出発。
駅前の75号線を左に進み、4分ほど進み城堀交差点を左折。
14分ほど進み中央四丁目交差点を左折。
東海道線のガード下を進む。
みかんの産地らしく、路肩にみかんの無人販売があちこちにみられる。
新幹線のガード下を進む。
新崎川沿いを進んでいく。
前方に山並みが見えてきた。
25分ほど進み幕山、南郷山方面に向け右に進む。
立派なクスノキの五郎神社を通過。
本殿裏手にあるという御神木のクスノキはこれだろうか。
五郎神社裏手から住宅街に入り、南郷山山頂3300mの道標に従い右に進む。
みかん畑を眺めながら急坂を進む。
この登りがかなりきつい。
間もなく桜も満開になるだろう。
途中真鶴方面の展望が開ける。
道は杉並木に変わった。
55分ほど歩き分岐を直進。
南郷山まで2400m。
道はまだ舗装路が続く。
「湯河原カンツリー倶楽部」沿いに登っていく。
相変わらず登りはきつい。
南郷山まで2000m。
まだまだ登りは続く。
さてこの辺りからやっと道は未舗装路になる。
路面は河原のような状態。
前に見えるのが南郷山かな。
展望なくひたすら登るだけなので、それにしてもきつい。
前回もこんなにきつかったかな。
階段を登れば白銀林道に出るはず。
そして13:05頃、白銀林道に到着。
南郷山まで900m、幕山まで1800m。
林道というだけあって、道路横には木材が積まれている。
それにしても舗装路ってこんなに歩きやすいんだ。
白銀林道を右に3分ほど進むと、再び登山道が現れる。
ここから南郷山まで700m。
笹の中を進む。
しばらく歩くと真鶴半島の展望が開ける。
久しぶりの展望にテンションが上がる。
広めの道になってきた。
ここを登れば山頂のはず。
再び真鶴半島が見えてきた。
空も海も真っ青である。
そして13:20頃、南郷山山頂(613m)に到着。
そうか南郷山は613mあったのか。
300m前後と勘違いしていたのだが、どうりできついと感じたはずである。
ちなみに湯河原駅の標高は30mほどなので、600m近く登ったことになる。
なお南郷山の標高は610mや611mとの情報もあり、どれが正しいのかな。
相模湾越しに小田原方面の展望が開ける。
さてこの日は先が長いので、写真を数枚撮影してすぐに出発する。
次の目的地は幕山。
3分ほど進むと分岐を白銀林道と小道地蔵堂寺屋敷跡の分岐に到着。
前回は白銀林道方面に進んだので今回は小道地蔵堂寺屋敷跡方面に進みたかったのだが、この先の自鑑水付近のルートが不明だったので白銀林道方面に進んで確かめることにした。
伊豆半島方面の景色を眺めながら下っていく。
信じられないほどの急坂。
途中十字路を通過する。
左右のルートはどこに続いているのだろうか。
7分ほど下ると白銀林道に出た。
白銀林道を右に進む。
自鑑水まで500mの分岐に到着。
前回ここから自鑑水に到着できなかったのでリベンジしてみる。
まずは登りから始まる。
3分ほど進むと分岐が現れる。
分岐の道標を振り返ってみる。
南郷山500m、小道地蔵堂寺屋敷跡1000m、自鑑水300mとある。
先ほどの急な下りの分岐を右に進むとここに合流する気がする。
次回歩いてみよう。
ちなみにこの先自鑑水までは道標はない。
開けた場所に出た。
下からの道に合流して右に進む。
前回はここで左方面を探して見つけられなかった。
次の分岐は確か左のはず。
そして左に進んですぐのところを右に下っていくはず。
と、思っていたら木に青いペンキで矢印が書いている。
これが自鑑水への目印なのだろうか。
知らなかったら気づかないと思う。
この先下っていくが、前回は自鑑水からここを登ってきた。
これで上からのルートも確認することができた。
そして13:45頃、自鑑水に到着。
かなりひっそりとした感じ。
自鑑水(自害水)は1180年石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、自鑑水に映る自分の顔を見て自害を思いとどまり、心機一転勇気を奮い起こしたとされる池。
一年中枯れることなく清水を湛えるという。
先に進み再び白銀林道に出る。
前回はここから自鑑水に向かった。
白銀林道を渡り、幕山に繋がるルートに入る。
杉並木の中を進む。
2分ほど進むと大石ヶ平との分岐に到着。
この後大石ヶ平に向かうのだが、まずは幕山に向け左に進む。
歩きやすく整備されたルート。
桜並木の中を登っていく。
山頂周回コースとの分岐に出るが、前回歩いたのでこのまま山頂に向かう。
そして14:05、幕山山頂(626m)に到着。
この日は今までひっそりとしていて人とすれ違うことはほどんどなかったが、山頂には10名ほどいる。
ポピュラーなコースなのだろうか。
山頂からは木の枝に遮られているが真鶴半島が見える。
この先長いので、写真を撮ってすぐに今来た道を戻る。
あと数日すればこの桜並木にも立派な花が咲くだろう。
6分ほどで大石ヶ平への分岐に戻ってきた。
大石ヶ平に向かって下っていく。
大石ヶ平とはいったいどんな場所なのだろう。
ズンズン下っていく。
目の前に見える高い山が立沢山(904.8m)で、高いだけあって東京航空局 箱根航空路監視レーダー局がある。
下からの道に合流。
白銀林道2500m、湯河原梅林1500m、五郎神社3700mとある。
なぜか立派な橋がある。
ところでこの辺りが大石ヶ平のはず。
そして大石ヶ平の道標を発見。
ちなみに大石ヶ平の標高は470mほど。
今来た道を振り返ったところ。
幕山山頂から150mほど下ってきたことになる。
次の目的地はしとどの窟なのだが、まずは一の瀬を目指して進む。
新崎川を見下ろしながら舗装路を下っていく。
7分ほど下るとクスノキの純木への分岐を通過。
ここを20分ほど進むと100年以上前に植えられたクスノキの森がある。
クスノキは防虫剤のショウノウの原料として使用されていたという。
この日は時間がないので通過する。
山の神
今から150年以上前に山仕事に携わる人々の手によって祀られ、2006年にこの場所に移設されたとある。
大石ヶ平から10分ほど下り、おそらくここが一の瀬の分岐。
ちなみに一の瀬の標高は260mほど。
奥に続くのは全延長2930mの菜畑林道。
しとどの窟まで林道経由で6300mとある。
一の瀬からしとどの窟までは2100mほどのはずなのだが、6300mとはおかしい。
そんなに距離があるのならこの日は歩けないのだが、おそらく林道経由でないルートへの分岐があるはずなので、菜畑林道方面に進んでみることにした。
道は四輪も走れるほどなのでとても歩きやすい。
3~4分で分岐が現れると思ったが、5分以上歩いでも分岐はない。
ちょっと不安になってくる。
ところが10分ほど歩くと分岐を発見。
道標にはしとどの窟1100mとある。
思った通りこのルートで正しかった。
分岐にある石造は墓標のようで、100年以上前に亡くなった方の名前が彫られてあった。
ややホッとして進んでいく。
ところが結構急な登坂。
ずっと下ってきた足にはこの登りが堪える。
一直線の登りが続く。
何度か沢を渡っていく。
水が豊かな土地らしい。
ちょっとした滝のような箇所を通過。
この辺りには大きな岩がゴロゴロしている。
それにしてもきつい登り。
展望なくひたすら登っていく。
鎖場を通過。
足はかなりボロボロ。
上の方に何か見えてきた。
間もなく到着らしい。
まだ歩くのか。
首の切られた観音像などが並ぶ。
灯篭が並ぶ。
そして15:38頃、しとどの窟に到着。
ちなみに大石ヶ平の標高は525mほどで、一の瀬から260mほど登ったことになる。
1180年に石橋山合戦で平家に敗れた源頼朝が、これらの地にあった窟に身を隠し、箱根権現別当のもとに逃れた後、真鶴のしとどの窟から安房国へと脱出したと伝えられている。
ここにある観音像は61体で、銘が読めるものは1853年の物からあるという。
上から流れ落ちる水は1年中湧いている。
なるほど、この水が下の沢に続いているのか。
裏から見てみる。
この窟のおかげで源頼朝の命が繋がったり、鎌倉幕府が生まれたということか。
なかなか感慨が深い。
さてしとどの窟を後にする。
先ほどの分岐に戻ってきた。
城山方面はどちらかな。
マップを確認して、しとどの窟バス停方面に向かう。
灯篭のある急坂を登っていく。
10分ほどの登りだが、かなり足に堪える。
急坂を登りきると、白銀林道に出た。
弘法大師像がある。
湯河原地方には地蔵信仰、観音信仰の遺蹟と共に、弘法大師を崇敬する大師信仰の遺蹟が多いらしい。
この弘法大師像はかつて山麓に湮滅されていたのを掘り起こして、ここに遷座したとある。
弘法大師像の横には子安地蔵尊など。
向かい側には桜郷史跡碑、弘法大師像群之由来碑、燈龍建立記念碑。
白銀林道の右方向は車両通行止めになっている。
左方向は城山隧道がある。
水が滴り落ちる城山隧道を進んでいく。
まだ明るいからいいけど、夜だったら気味が悪いかも。
城山隧道を抜けると右側に立派なトイレがある。
トイレのすぐ先は椿ラインの椿台。
ライダーたちの休憩所になっている。
椿ラインは二輪四輪で何度か走ったことがあるが、まさか歩いてくることになるとは思っていなかった。
椿台の右に設置してあるマップを見てみる。
次の目的地の城山はマップの前の道を進んだところにあるらしい。
下の方に先ほどのトイレ入り口付近が見える。
その手前にある、←湯河原温泉は壁際にあるので誰も見ないと思うのだが、なぜここに設置されているのだろう。
トイレの上は休憩スペースになっている。
でもちょっと気味が悪い。
四輪も通行可能な簡易舗装路。
歩き易く足のダメージが回復してくる。
右の方に見えるのが城山だろうか。
10分ほど進むと広場になっている。
ここで車内泊などしてみたい感じ。
広場の先は狭くなっているので車両の通行はできない。
この先土肥城趾となっているが、城山の次の目的地は土肥城趾なのでルートに間違いないようである。
杉並木の中を進んでいく。
この先あまり登りがないといいのだが。
土肥城趾の道標に従い進む。
少し登りがあるが高いところが見えないので、まもなく到着のはず。
広場に出た。
かなり眺めがよさそう。
そして16:20頃、城山(563m)、土肥城趾に到着。
そうか、城山に土肥城があったという事なのか。
マップを見ると少し離れている場所に記載されていたので、別々だと思っていた。
こちらは小田原方面。
真っ青な相模湾。
正面に大島が見える。
伊豆半島方面もバッチリ。
時間が遅いのですぐに湯河原駅方面に向け下山開始する。
湯河原駅までは3000m。
かなり歩き易い。
5分ほど下ると、立派な東屋がある。
焼却炉もある。
これはソーラー電源付きのアンテナかな。
こんな山奥になんでこんな設備があるのだろうと思ったが、周囲がすこし広場になっているので、おそらくここが城山公園ピクニックグラウンドだと思われる。
城山公園ピクニックグラウンドと思われる場所だが、東屋以外特に施設はなさそうだし、誰もいないのですぐに先に進む。
なお城山公園ピクニックグラウンドから湯河原駅に向かうには、右に進む宮下林道経由と左に進むあじさいの郷経由の2つのルートがあるのだが、宮下林道は2020年年末まで森林整備のため通行できないらしい。
本当は宮下林道を歩きたかったのだが、あじさいの郷方面に進む。
城山公園ピクニックグラウンドから4分ほど下ると舗装路に合流する。
このまま舗装路を下るのかと思ったが、舗装路の先に踏跡らしきものが見えたので進んでみる。
さてこの先どこに出るのだろうか。
2分ほどで再び舗装路に出た。
周囲を見たが舗装路を進むしかないらしい。
湯河原の市街地が見える。
さらに2分ほど進むと、80mほど山を下ると立石とある。
立石とは源頼朝が運試しにこの石を投げて、垂直に立てばいつか自分が天下を取る時が来るが、もし立たずに倒れれば、頼朝の時代はなく、このまま滅びるであろうと念じ投げた石が、みごと山の中腹に立ち、そのお陰で運が開き、鎌倉幕府を築いたといわれているとある。
80m下ったら80m登ってこないといけないので気が向かないが行ってみることにする。
かなりの急坂を下っていく。
それにしてもそんな石が今も残ってるのだろうか。
すぐに到着。
そこには高さ2m以上ある大岩があった。
こんな大岩を投げられるわけないので、伝説的な話なんだろう。
反対側から見たところ。
元の道に戻り3分ほど進むと、左に下りるルートがある。
やや近道の下りともあり、舗装路でなければ少し遠回りになっても構わないくらいなので、喜んで進む。
やや狭いが歩きづらくはない。
5分ほど進むと兜石がある。
源頼朝が石橋山の合戦に敗れ土肥の椙山に逃げる途中、休憩をとるために兜をこの石の上に置いたといわれているらしい。
これもホントかな???
兜石から1分ほど進むと舗装路に出た。
湯河原駅まで2700m。
この分岐はこの先で合流している。
急坂で近い左ルートを進む。
急坂の舗装路を25分ほど下ると、海が近くに見えてきた。
東海道線のガード下を進む。
ガードの先は右に進む。
そして17:35頃、湯河原駅に到着。
いや~、かなりハードなルートであった。
距離的にはそれほど長くはないのだが、登りも下りも勾配が急で足へのダメージが蓄積される。
特に、しとどの窟への登りがきつかった。
次回は作戦を考えて歩くことにしよう。
【散策メモ】
2020年03月20日(金)
湯河原駅~五郎神社~白銀林道~南郷山~自鑑水~幕山~大石ヶ平~しとどの窟~城山(土肥城趾)~湯河原駅
歩数:32,614歩
歩行距離:21,199m
歩行時間:4時間40分
消費カロリー:835.9kcal
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湯河原散策マップを参照し南郷山、幕山、大石ヶ平、しとどの窟、城山、土肥城跡を巡る予定。
file:///C:/Users/jun19/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C7N6DAM1/1-20190927165001.pdf
湯河原駅を11:40頃出発。
駅前の75号線を左に進み、4分ほど進み城堀交差点を左折。
14分ほど進み中央四丁目交差点を左折。
東海道線のガード下を進む。
みかんの産地らしく、路肩にみかんの無人販売があちこちにみられる。
新幹線のガード下を進む。
新崎川沿いを進んでいく。
前方に山並みが見えてきた。
25分ほど進み幕山、南郷山方面に向け右に進む。
立派なクスノキの五郎神社を通過。
本殿裏手にあるという御神木のクスノキはこれだろうか。
五郎神社裏手から住宅街に入り、南郷山山頂3300mの道標に従い右に進む。
みかん畑を眺めながら急坂を進む。
この登りがかなりきつい。
間もなく桜も満開になるだろう。
途中真鶴方面の展望が開ける。
道は杉並木に変わった。
55分ほど歩き分岐を直進。
南郷山まで2400m。
道はまだ舗装路が続く。
「湯河原カンツリー倶楽部」沿いに登っていく。
相変わらず登りはきつい。
南郷山まで2000m。
まだまだ登りは続く。
さてこの辺りからやっと道は未舗装路になる。
路面は河原のような状態。
前に見えるのが南郷山かな。
展望なくひたすら登るだけなので、それにしてもきつい。
前回もこんなにきつかったかな。
階段を登れば白銀林道に出るはず。
そして13:05頃、白銀林道に到着。
南郷山まで900m、幕山まで1800m。
林道というだけあって、道路横には木材が積まれている。
それにしても舗装路ってこんなに歩きやすいんだ。
白銀林道を右に3分ほど進むと、再び登山道が現れる。
ここから南郷山まで700m。
笹の中を進む。
しばらく歩くと真鶴半島の展望が開ける。
久しぶりの展望にテンションが上がる。
広めの道になってきた。
ここを登れば山頂のはず。
再び真鶴半島が見えてきた。
空も海も真っ青である。
そして13:20頃、南郷山山頂(613m)に到着。
そうか南郷山は613mあったのか。
300m前後と勘違いしていたのだが、どうりできついと感じたはずである。
ちなみに湯河原駅の標高は30mほどなので、600m近く登ったことになる。
なお南郷山の標高は610mや611mとの情報もあり、どれが正しいのかな。
相模湾越しに小田原方面の展望が開ける。
さてこの日は先が長いので、写真を数枚撮影してすぐに出発する。
次の目的地は幕山。
3分ほど進むと分岐を白銀林道と小道地蔵堂寺屋敷跡の分岐に到着。
前回は白銀林道方面に進んだので今回は小道地蔵堂寺屋敷跡方面に進みたかったのだが、この先の自鑑水付近のルートが不明だったので白銀林道方面に進んで確かめることにした。
伊豆半島方面の景色を眺めながら下っていく。
信じられないほどの急坂。
途中十字路を通過する。
左右のルートはどこに続いているのだろうか。
7分ほど下ると白銀林道に出た。
白銀林道を右に進む。
自鑑水まで500mの分岐に到着。
前回ここから自鑑水に到着できなかったのでリベンジしてみる。
まずは登りから始まる。
3分ほど進むと分岐が現れる。
分岐の道標を振り返ってみる。
南郷山500m、小道地蔵堂寺屋敷跡1000m、自鑑水300mとある。
先ほどの急な下りの分岐を右に進むとここに合流する気がする。
次回歩いてみよう。
ちなみにこの先自鑑水までは道標はない。
開けた場所に出た。
下からの道に合流して右に進む。
前回はここで左方面を探して見つけられなかった。
次の分岐は確か左のはず。
そして左に進んですぐのところを右に下っていくはず。
と、思っていたら木に青いペンキで矢印が書いている。
これが自鑑水への目印なのだろうか。
知らなかったら気づかないと思う。
この先下っていくが、前回は自鑑水からここを登ってきた。
これで上からのルートも確認することができた。
そして13:45頃、自鑑水に到着。
かなりひっそりとした感じ。
自鑑水(自害水)は1180年石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、自鑑水に映る自分の顔を見て自害を思いとどまり、心機一転勇気を奮い起こしたとされる池。
一年中枯れることなく清水を湛えるという。
先に進み再び白銀林道に出る。
前回はここから自鑑水に向かった。
白銀林道を渡り、幕山に繋がるルートに入る。
杉並木の中を進む。
2分ほど進むと大石ヶ平との分岐に到着。
この後大石ヶ平に向かうのだが、まずは幕山に向け左に進む。
歩きやすく整備されたルート。
桜並木の中を登っていく。
山頂周回コースとの分岐に出るが、前回歩いたのでこのまま山頂に向かう。
そして14:05、幕山山頂(626m)に到着。
この日は今までひっそりとしていて人とすれ違うことはほどんどなかったが、山頂には10名ほどいる。
ポピュラーなコースなのだろうか。
山頂からは木の枝に遮られているが真鶴半島が見える。
この先長いので、写真を撮ってすぐに今来た道を戻る。
あと数日すればこの桜並木にも立派な花が咲くだろう。
6分ほどで大石ヶ平への分岐に戻ってきた。
大石ヶ平に向かって下っていく。
大石ヶ平とはいったいどんな場所なのだろう。
ズンズン下っていく。
目の前に見える高い山が立沢山(904.8m)で、高いだけあって東京航空局 箱根航空路監視レーダー局がある。
下からの道に合流。
白銀林道2500m、湯河原梅林1500m、五郎神社3700mとある。
なぜか立派な橋がある。
ところでこの辺りが大石ヶ平のはず。
そして大石ヶ平の道標を発見。
ちなみに大石ヶ平の標高は470mほど。
今来た道を振り返ったところ。
幕山山頂から150mほど下ってきたことになる。
次の目的地はしとどの窟なのだが、まずは一の瀬を目指して進む。
新崎川を見下ろしながら舗装路を下っていく。
7分ほど下るとクスノキの純木への分岐を通過。
ここを20分ほど進むと100年以上前に植えられたクスノキの森がある。
クスノキは防虫剤のショウノウの原料として使用されていたという。
この日は時間がないので通過する。
山の神
今から150年以上前に山仕事に携わる人々の手によって祀られ、2006年にこの場所に移設されたとある。
大石ヶ平から10分ほど下り、おそらくここが一の瀬の分岐。
ちなみに一の瀬の標高は260mほど。
奥に続くのは全延長2930mの菜畑林道。
しとどの窟まで林道経由で6300mとある。
一の瀬からしとどの窟までは2100mほどのはずなのだが、6300mとはおかしい。
そんなに距離があるのならこの日は歩けないのだが、おそらく林道経由でないルートへの分岐があるはずなので、菜畑林道方面に進んでみることにした。
道は四輪も走れるほどなのでとても歩きやすい。
3~4分で分岐が現れると思ったが、5分以上歩いでも分岐はない。
ちょっと不安になってくる。
ところが10分ほど歩くと分岐を発見。
道標にはしとどの窟1100mとある。
思った通りこのルートで正しかった。
分岐にある石造は墓標のようで、100年以上前に亡くなった方の名前が彫られてあった。
ややホッとして進んでいく。
ところが結構急な登坂。
ずっと下ってきた足にはこの登りが堪える。
一直線の登りが続く。
何度か沢を渡っていく。
水が豊かな土地らしい。
ちょっとした滝のような箇所を通過。
この辺りには大きな岩がゴロゴロしている。
それにしてもきつい登り。
展望なくひたすら登っていく。
鎖場を通過。
足はかなりボロボロ。
上の方に何か見えてきた。
間もなく到着らしい。
まだ歩くのか。
首の切られた観音像などが並ぶ。
灯篭が並ぶ。
そして15:38頃、しとどの窟に到着。
ちなみに大石ヶ平の標高は525mほどで、一の瀬から260mほど登ったことになる。
1180年に石橋山合戦で平家に敗れた源頼朝が、これらの地にあった窟に身を隠し、箱根権現別当のもとに逃れた後、真鶴のしとどの窟から安房国へと脱出したと伝えられている。
ここにある観音像は61体で、銘が読めるものは1853年の物からあるという。
上から流れ落ちる水は1年中湧いている。
なるほど、この水が下の沢に続いているのか。
裏から見てみる。
この窟のおかげで源頼朝の命が繋がったり、鎌倉幕府が生まれたということか。
なかなか感慨が深い。
さてしとどの窟を後にする。
先ほどの分岐に戻ってきた。
城山方面はどちらかな。
マップを確認して、しとどの窟バス停方面に向かう。
灯篭のある急坂を登っていく。
10分ほどの登りだが、かなり足に堪える。
急坂を登りきると、白銀林道に出た。
弘法大師像がある。
湯河原地方には地蔵信仰、観音信仰の遺蹟と共に、弘法大師を崇敬する大師信仰の遺蹟が多いらしい。
この弘法大師像はかつて山麓に湮滅されていたのを掘り起こして、ここに遷座したとある。
弘法大師像の横には子安地蔵尊など。
向かい側には桜郷史跡碑、弘法大師像群之由来碑、燈龍建立記念碑。
白銀林道の右方向は車両通行止めになっている。
左方向は城山隧道がある。
水が滴り落ちる城山隧道を進んでいく。
まだ明るいからいいけど、夜だったら気味が悪いかも。
城山隧道を抜けると右側に立派なトイレがある。
トイレのすぐ先は椿ラインの椿台。
ライダーたちの休憩所になっている。
椿ラインは二輪四輪で何度か走ったことがあるが、まさか歩いてくることになるとは思っていなかった。
椿台の右に設置してあるマップを見てみる。
次の目的地の城山はマップの前の道を進んだところにあるらしい。
下の方に先ほどのトイレ入り口付近が見える。
その手前にある、←湯河原温泉は壁際にあるので誰も見ないと思うのだが、なぜここに設置されているのだろう。
トイレの上は休憩スペースになっている。
でもちょっと気味が悪い。
四輪も通行可能な簡易舗装路。
歩き易く足のダメージが回復してくる。
右の方に見えるのが城山だろうか。
10分ほど進むと広場になっている。
ここで車内泊などしてみたい感じ。
広場の先は狭くなっているので車両の通行はできない。
この先土肥城趾となっているが、城山の次の目的地は土肥城趾なのでルートに間違いないようである。
杉並木の中を進んでいく。
この先あまり登りがないといいのだが。
土肥城趾の道標に従い進む。
少し登りがあるが高いところが見えないので、まもなく到着のはず。
広場に出た。
かなり眺めがよさそう。
そして16:20頃、城山(563m)、土肥城趾に到着。
そうか、城山に土肥城があったという事なのか。
マップを見ると少し離れている場所に記載されていたので、別々だと思っていた。
こちらは小田原方面。
真っ青な相模湾。
正面に大島が見える。
伊豆半島方面もバッチリ。
時間が遅いのですぐに湯河原駅方面に向け下山開始する。
湯河原駅までは3000m。
かなり歩き易い。
5分ほど下ると、立派な東屋がある。
焼却炉もある。
これはソーラー電源付きのアンテナかな。
こんな山奥になんでこんな設備があるのだろうと思ったが、周囲がすこし広場になっているので、おそらくここが城山公園ピクニックグラウンドだと思われる。
城山公園ピクニックグラウンドと思われる場所だが、東屋以外特に施設はなさそうだし、誰もいないのですぐに先に進む。
なお城山公園ピクニックグラウンドから湯河原駅に向かうには、右に進む宮下林道経由と左に進むあじさいの郷経由の2つのルートがあるのだが、宮下林道は2020年年末まで森林整備のため通行できないらしい。
本当は宮下林道を歩きたかったのだが、あじさいの郷方面に進む。
城山公園ピクニックグラウンドから4分ほど下ると舗装路に合流する。
このまま舗装路を下るのかと思ったが、舗装路の先に踏跡らしきものが見えたので進んでみる。
さてこの先どこに出るのだろうか。
2分ほどで再び舗装路に出た。
周囲を見たが舗装路を進むしかないらしい。
湯河原の市街地が見える。
さらに2分ほど進むと、80mほど山を下ると立石とある。
立石とは源頼朝が運試しにこの石を投げて、垂直に立てばいつか自分が天下を取る時が来るが、もし立たずに倒れれば、頼朝の時代はなく、このまま滅びるであろうと念じ投げた石が、みごと山の中腹に立ち、そのお陰で運が開き、鎌倉幕府を築いたといわれているとある。
80m下ったら80m登ってこないといけないので気が向かないが行ってみることにする。
かなりの急坂を下っていく。
それにしてもそんな石が今も残ってるのだろうか。
すぐに到着。
そこには高さ2m以上ある大岩があった。
こんな大岩を投げられるわけないので、伝説的な話なんだろう。
反対側から見たところ。
元の道に戻り3分ほど進むと、左に下りるルートがある。
やや近道の下りともあり、舗装路でなければ少し遠回りになっても構わないくらいなので、喜んで進む。
やや狭いが歩きづらくはない。
5分ほど進むと兜石がある。
源頼朝が石橋山の合戦に敗れ土肥の椙山に逃げる途中、休憩をとるために兜をこの石の上に置いたといわれているらしい。
これもホントかな???
兜石から1分ほど進むと舗装路に出た。
湯河原駅まで2700m。
この分岐はこの先で合流している。
急坂で近い左ルートを進む。
急坂の舗装路を25分ほど下ると、海が近くに見えてきた。
東海道線のガード下を進む。
ガードの先は右に進む。
そして17:35頃、湯河原駅に到着。
いや~、かなりハードなルートであった。
距離的にはそれほど長くはないのだが、登りも下りも勾配が急で足へのダメージが蓄積される。
特に、しとどの窟への登りがきつかった。
次回は作戦を考えて歩くことにしよう。
【散策メモ】
2020年03月20日(金)
湯河原駅~五郎神社~白銀林道~南郷山~自鑑水~幕山~大石ヶ平~しとどの窟~城山(土肥城趾)~湯河原駅
歩数:32,614歩
歩行距離:21,199m
歩行時間:4時間40分
消費カロリー:835.9kcal
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2021-02-05 06:00
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